彼ら「マノ」一家とは、ひょんなことから知り合った。 たしか観光元年だったと思う。 LEOEXPRESSというマンダレー行きのバスで、のっぽのイタリア人と出会った。 車内の外国人は私達ふたりだけ。自然に旅の話をしていた。 とくに旅の目的のない私は「タナカの産地に行くつもりだが一緒に行ってみないか」という彼に同行することにした。 「そのへんの英語の出来るミャンマー人の中で一番まじめそうなヤツ」が、私達のガイドに選ばれた。 マンダレーの西へ。 出会って数日しかたたない私達三人の旅が始まった。 数日後モンユワから西に向かう幹線道路のジャンクションで、乗り換えのピックアップを待っていた。 いくら待っても乗り換えは来ないし次の目的地も決まっていない。 慣れない人間関係と道の悪さもあってかイライラしていた。 「どのくらいで来るかな」 「知るか」 「なんだよ」 「そんなの考えるなよ、ここはミャンマーだ」 そんな二人をよそにガイドはドライブインのおかみさんと話こんでいた。 「良いニュースか悪いニュースか?」 ガイドが満面の笑みとともに戻ってきた。 きざなヤツと思いながら向こうをみると、ひょうたんのような体型のおかみさんもニコニコしている。 良い知らせに違いない。 「タナカの産地に行きたいって?!この先の村へ行くといい。泊まるところ?聞いてみてあげるから」 とでも言ってくれたのだろうか。 いつもは穏やかで品良くふるまうガイドも興奮気味でしゃべりまくる。 「すごいことですねえ。二人とも心配はいらないですよ。私も村の人と直接話したから大丈夫。いやあなんて運命だ!!」
今思えば笑えるが到着日の村の盛り上がりは相当なものだった。 なんといっても人口600人の小さな小さな村。 タナカが特産品というだけで、さして娯楽もない。 誰かの親戚以外に村を訪れる物などめったにいないだろうから、「初めての外国人」である私達の来訪に盆と正月がいっぺんにきたかのようだった。 マノ一家は私たちを見にきたお客さんたちへの応対で大わらわ。 私たちは最大限の笑顔をふりまき友好的な来訪者であることをアピール。 そしてくたびれはてた。 私ものっぽ(194cm)も自分の好きな事を好きなようにしたい者同士だった。 旅の行き先については長く討議を重ねるが、コモンバンク(共有財布)の管理と約束さえ守っていれば互いを干渉する事などなかった。あくまで大人の極めて気楽で良好な関係だった。 しかし村では、その尊厳はもろくも崩れてしまった。 私の行くところどこへでも子供達が行列をなした。 のっぽの一挙手一動に拍手がおこらんばかりだ。 「たまにはこんな経験もステキだね」という互いの目は笑っていなかった。 ガイドはそんな二人をみて大笑いしていた。 村には本当に何もなかった。正確にいうとタナカ畑以外何もなかった。 電気もガスも水道もなかった。朝は薪で火をおこし井戸へ水くみに行く。 毎朝、繰り返される女達の仕事。 日中は30度にもなるが朝晩は吐く息が白いほど冷え込む。 東南アジアにおける意外な寒暖の差に驚きヤンゴンの穏やかな湿気が懐かしくなった。 毎日空気は乾燥して埃っぽく家の中はザラザラ、鼻の穴も爪もいつも真っ黒だった。 村の名前が長すぎておぼえられないので、のっぽと二人この村を「タナカ村」と呼ぼうと決めた頃、近隣の村人がタナカ泥棒にくること、その被害がけっこう甚大なもので収穫時期には用心棒を雇うこと、犬を放して畑を守ることを聞かされた。 資生堂もカネボウもないミャンマーでは「天然タナカ」はたいへん高値で取引されることを知った。 私たちにとっては「何もない」この村が、近隣の村にとっては豊かで妬ましい存在ということに驚いた。 注;タナカ(thanaka) 木の名前。樹液を素肌に塗ることで肌を紫外線から守る、ミャンマーの伝統的なお化粧として思い思いに顔に塗る。 (第二項へ続く) written by ザジゴン |
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