今までのミャンマー滞在中、何度となく油断しては水にあたっている。

泊まった家のお嬢さんがつくってくれたライムジュース、まるでマリモのようなかび入りミネラルウォーター。
ヤンゴンの、できたばかりであろうピッカピカでおしゃれなカフェで冷たいコーヒーをオーダーしたが氷がいけなかった。氷は店の内装に比例せずいつものミャンマーだった。

水にあたると必ず脂汗をかきながら悪夢をみるのはなぜだろう。
一気に熱をだし、ひたすら吐いてトイレに通う。
「飲み水を自分で用意したらいいじゃないか」
「飲み水」それがすべての解決策であるとは到底思えない。

川近くの生活は水の恩恵にあやかる事が出来る、
そこは、すべての事がすんでしまうまったく豊かな世界。
それに対して内陸の乾燥地帯では何十分も歩いて井戸へ水を汲むに行く。

「日本人のお金で学校が建ったんだよね、、、でも井戸が遠いから水汲みの人間が必要なんだよ。
わかる?学校ができてもさあ、子供は学校なんか行ってられないの。
だからインフラの整備、技術援助そうゆうの期待しているけど、:発展途上国の子供に夢を:って鉛筆だのノートだの送ってくる。
それじゃあ生活にならないの。
しかも軍事政権下、我々の建てて欲しいところに学校が建てられるわけがない。
あなた達から贈られた寄付金の使い道を我々国民と相談することもありえない。」
ミャンマー一番の乾燥地帯でそう訴えられた。

さてさて川の近くのニェインニェイン一家にはフロ、トイレはもちろん台所なんて代物もない。
家の横で火を起こして湯を沸かす。油を熱しておかずを作る。
薪で火をおこすのは一大事だから、一家が調理するのは1日1回朝か昼だけ。
それ以外にお茶の湯を沸かすことはあっても食事は冷たいご飯と、冷たいお惣菜。
日本の暮らしだってかつてはそうだったのだろう。冷蔵庫も電子レンジもなかったのだから。
 

彼ら一家は天ぷらを売って現金収入を得ている。
朝早くにお父さんが川で獲った小魚や川エビを、お母さんが天ぷらにする。
それをニェインニェインが妹と一緒にお盆にのせて売り歩く。
しかし昼すぎの天ぷらなど誰も手をださない。
姉妹は売るのをあきらめ、パヤー近くのみやげ物屋でおしゃべり。

しかしこの数年で一家の状況もかわった。
妙齢のすっかり美しい女性に成長したニェインニェインが夜の仕事にでているというのだ。

「ナニ?夜の仕事」

さして驚くほどのことではなかった。
近くのレストランのディナーショーで民族舞踊を踊っているだけのことだった。
一家の中にはそのレストランで働くものが他にもいる。
長兄は調理、長女は清掃、配膳を担当している。
よってどういう経緯で彼女がそこで踊るようになったかは容易に想像ができた。

ある夜ニェインニェイン宅にて、例によって衆人監視のもと冷めた惣菜で夕飯を食べていた。
しばらく私のわからぬ言葉で家族とご近所の話し合いが続いていた。
語気を強める者、さとすように語る者、議論は続く。

とお母さんが切り出した。

「ザジゴン、ニェインニェインの踊る姿を観たくないかい?」
「ハイ」

家族とご近所が安堵の表情をみせた。

翌日、ステージの上には私の知らない彼女がいた。
真っ赤な口紅、細い腰、、、南国の原色の妖しい蝶。
クラクラきた。

ショーが終わるのを見計らって来たのだろうか、年老いた両親、兄弟たちがレストランの外、真っ暗闇の中で私を待っていた。

「ザジゴン、うちのニェインニェインはキレイだろう」
「ハイ」
「ザジゴン、あの子の踊りは上手だろう」
「ハイ」

このショーの1ドルが彼らにとってどんなに大金か。
今や一家の屋台骨であるニェインニェインの一晩の稼ぎさえ、その半分にもならない。

なのに彼女は私の財布を決してあけさせなかった。
彼女は大きな声とともに会計を済まそうとする私の前に飛び出した。

クシャクシャのお札が係りに投げつけられた。

「この人のお金を受け取っちゃダメ」
そんな言葉の語気の強さにひるんだ。
何が彼女をこんなに強い子にしたのだろう。
5年前の別れの日、泣きじゃくった少女もうそこにはいなかった。

ミャンマーの時の流れはいつもゆるやかだ。
が、人が大人になるスピードはどうなのだろう。

「ザジゴン、いつここに泊まるんだい?」

あいかわらず返事ができないまま、ここで勝手気ままに暮らしている。
誰かが言った「一億人の子供が住む国、日本。」

私が怖かったのは水じゃなかった、隙間だらけの家でもなかった。
いつまでたっても大人になれない自分を認める事が怖かった。


(Travel Note vol 1 川のほとりで、おしまい)   

written by ザジゴン
 

 
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