MRAUK U |
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┃概観 ミャウウーは、バングラディッシュ国境に近い、ミャンマー西部に位置し、四方をジャングルに囲まれた古代遺跡。80,000を超える貴重な仏教遺跡が王宮跡を中心に小高い丘に広がる。アクセスの難しさから、訪れる旅行者はまだ少なく、観光開発も進んでいないが、それが返って魅力となっているのでは。ヤンゴンから空路でSitwayまで、さらにそこから船で訪れる。 街は遺跡以外何も無いといっても良い。といっても遺跡の中に町があるようなものなので、街の端から端までは結構距離がある。移動は馬車や自転車などでするのが良い。また日が暮れると、街は真っ暗になり、レストランも夜は閉まってしまう所が多いので、夕食は早めに食べるか、宿で食べる事になる。 ┃入域料 入域料$5が必要。支払は宿かシッタウン寺院の境内で。 ┃両替 情報準備中です。 ヤンゴンからシットウェへの直通道路が出来、バスの運行も始まリましたが、やはり長旅となり、お薦め致しません。やはり空路がベストです。 ┃飛行機 飛行機はシットウェまである。ヤンゴンからエアーマンダレーが週2便、ミャンマー航空が毎日就航。 ┃船とバス YangonからPyay経由Taung up行きの夜行バスがある。さらにSittweまで1泊2日の船が出ている。週に2便(月・木)しかないので要注意。 ┃シットウェーから 船でSittweから70km。所要約5-8時間。 IWTフェリー(ガバメントボート)が火・金運行。7:00発。デッキ $4、キャビン $12。帰りは水・土曜の8:00発。 高速船は、日曜のみエクスプレスのボートがあり、こちらは所要約1時間。但し値段は高い。 民営ボートが毎朝7:00発。$20-30。この場合は直接船着場で値段交渉が必要。 チャーター船も可能。往復$120。現地で2泊可能。延泊も追加料金で可能。かなりふっかけてくるので要注意。 情報の変動が激しいので要現地確認。 ┃市内の移動 遺跡はとても徒歩では廻れないので、自転車かジープで廻ると良い。 ┃Htuk Knak Thein Temple - ダッカンゼイン寺院 ドッカンティンともトゥッカンテインなどと呼ばれて、10mほどの丘の上に建てられています。南北58m、東西61mの長さがあり、太鼓のような平たい形で、ミンパラウン王の手によって1571年に建てられたものです。殆のミャウーの寺院や仏塔は砂岩で出来ています。この寺院も同じく砂岩と、天井は煉瓦で造られています。シッタウン寺院同様、鐘の形をした塔が幾重にも囲み印象深い寺院です。 ┃Mong Pang Shwe Gu Paya - モンコンシュエドゥ・パヤー 1629年ティリトゥダマヤザ王の第一番目の王妃、ナットシンメイ妃によって建てられたものでパヤーには豊富な装飾がなされている。 ┃Phara Ouk Temple - パヤオウ寺院 1571年モンパウロン王によって建てられ、29の壁のくぼみの内側に頑丈な石で造られた仏像が納められている。 ┃Andaw Thein Temple - アンドー・ティン寺院 アンドー・ティンとは仏歯が安置されたパヤーを意味しています。有名なシッタウンパヤーの東北、約26mの所にあります。元々の寄進者はミンラヤーザー王で、寺院は1521年に造られたのですが老朽化した為、ミンヤーザージー王の手によって1596年に修理されました。南北69m、東西44m、中にはお釈迦様の歯が安置されていると信じられていて、その仏歯はミンビン王の時代(1534-1542年)頃、スリランカから寄贈されたと言われています。この寺院は砂岩で出来ていて、四角い小丘の上に位置しています。 ┃Pizi Paya - ピズィ・パヤー 1122年に建てられ、元々の物は4つの入り口を持つ石で出来た寺院である。それぞれの入り口に黒みがかった石で出来た仏像がある。又中央の円柱の上にレーミョ時代の8フィートの石仏像が横たわっている。 ┃Koe Taung Paya - コウタウン・パヤー 1553年にモンテッカ王によって建てれた。9コートーンとは『9万の仏塔』という意味で、ミャウー遺跡では最大のパヤーと言われていて、東西70m、南北76mの大きさ。元々は寺院の周りに9つの雛壇のようなものがあった様だ。現在はそのうちの5つが残っているが上段と下段、中2回は崩壊してしまい、アーチだけを見る事が出来る。境内の中央には8角形のパヤーがある。 ┃Sittaung Temple - シッタウン寺院 (八万寺) 1535年モンパージー王によって一年間に1,000人の職人で建てられた。地下に108の聖宝を奉った後、5つの中心の建物を建立し始めた。聖堂には清められた84,000の聖宝が箱に入れられ、84,000の来世の仏陀が奉納されている。この寺院の内部でラカインの文化や歴史、伝説などを見学する事が出来る。また仏陀の前世に付いての説明、例えば空を飛ぶ生き物としてはツルの姿になったり、又ヒンダ、アヒル、ハト、孔雀、水牛、牛、ブタ、鶏、馬だった時の事などを知る事が出来る。3段目では550のジャタカという教典について彫刻した石を見る事が出来る。また踊っている人達の絵や、物質で出来た美術、相撲をする人達、曲芸をする人達、象狩りをする人達、伝統的なゲームをする人達などを描いた美術なども見る事が出来る。 ┃Lemyathnar Paya - レーミャェナー・パヤー ドゥッカンティンパヤーから約46mの距離に位置しているこのパヤーは『四面』パヤーです。ミャウー王朝のミンソモン王が1430年に作ったパヤー、最初に建てられた重要な5つのパヤーの一つです。外形は四角ですが中では八角形になっています。テラスが四つあって、それぞれの角に小さい仏塔が建てられています。広場の一面の長さは16.7m程で内側の中央の部屋はドーム型で、周囲が24m、高さが21mあります。そこには28体の仏像が納められています。 ┃Mrauk U Museum - ミャウー博物館 ミャウーの新しい博物館は王宮跡の近くに位置しています。中にはウェーサリー時代、ラウンガラ時代とミャウー時代のそれぞれの遺物などが展示されています。仏像は時代毎、特徴毎に整然と並べられています。砂岩に彫られた碑文はサンスクリット語、ラカイン語とアラビア語などがあり、クリシュナ、ビシュヌ、菩薩などの神様の像や、コイン、楽器、陶器なども展示されています。 ┃Pitaka Taik - ピタカッタイ経典室 主に砂岩で作られている寺院で、外観はフレスコなどで綺麗に装飾されているのが特徴です。ミャウー全体に経典室は合計33軒あると言われています。こういった経典室は仏教の経典を置く為に造られたもので、寄進者はミンパラウン王で、1591年に造られたと言われています。東西4m、南北3m、高さ2.7m程で、外見は蓮の花で溢れている花篭の形にみえます。 ミャウーには48箇所の図書館があったのですが、現在この一つしか残存していません。この図書館の中にはナラパティジー王(1638〜1645)がスリランカから譲り受けた三蔵経が保管してあったと言われています。辺りは草も多く、図書館自体も窓が無い為、沢山蚊に刺されたという逸話があり、現地ではチンカイ図書館『チンカイ=蚊に刺された』として知られています。実はチンカイというのはラカイ語の(カラウン・カイ)の誤読だとも言われています。カラウン・カイ(チンカイ)城壁の近くにあるからとも言われています。 ┃Shwe Daung Paya - シュェーダウン・パヤー 伝承によると、とミンビン王「1531〜1553」の手によって建てられたものだと云われています。この地方で最も高い仏塔と言われ、ミャウウーのランドマークとなっています。丘自体は76m程の高さがあり、王宮の東南に位置しています。仏塔は32kmほど離れたカラダン川からも見えます。仏塔の形は他のパヤーのように一番下の部分は円形となっています。第二次世界大戦の際、この丘は要塞として使われていて、いまでもその跡を見学する事が出来ます。 ┃Sanda Muni Buddha Image - サンダームニ仏像 この仏像は現在、ミャウーのバンドゥラ僧院の中に安置されており、高さ1m、幅1.3mの仏像は現地の人々の間で最も人気のある仏像です。伝承によると、お釈迦様がまだ活躍されていた西暦123年、ミャウーまでいらっしゃったと言われ、それ以来ミャウーの人々の多くは仏教徒になり、仏像やパヤーなどを崇拝するようになったと云われています。 大昔、サンダトゥリヤ王がこのラカイン州を治めていた時代、ゴゥーダマ仏陀がミャウーへいらっしゃいました。当時の王は、お釈迦様の代わりに崇拝出来る様に、仏像を作ってお釈迦様の魂を入れてくれるようにお願いをしました。お釈迦様は自分とそっくりの仏像を4つ作りました。それらは、マハームニ『マンダレー』、シュェーボンダームニ『 ピー』、ザルンピェードゥビャン『ザルン』、マハームニ『シットウェー』に納められ、それでも沢山の金と宝石が残っていたので王様はさらに仏像を5体作りました。それらは@サンダームニ、Aクジャムニ、Bセッチャームニ、Cデーワムニ、Dスーラムニに納められました。この5体の仏像はマハムニの仏像(シットェー)を囲む様に納められています。 ミンソゥモン王の時代にミャウーは都になりました。王はサンダームニ・パヤーを都と一緒にミャウーへ移しました。その後1852年には下ミャンマーはイギリス植民地となり、イギリス軍は全ての仏像を没収して、溶かして武器を作りました。その事を知った人々はサンダムニ仏像をコンクリートで覆い、没収されずに残されました。その後1988年4月27日、バンドゥラ僧院の僧が仏像の掃除をした時、仏像の顔や目の部分が掛けてしまい、中から金属が出てきた為、1988年5月19日に全てのコンクリートを落として、実物のサンダームニ仏像があらわになりました。 ┃Htot Kan Thein Paya - トッカンティン・パヤー 1571年にミンパラウン王が建立した、シッタウン寺院の西北にあるパヤー。回廊には146体の仏像が安置され、昔は得度式が行われた場所でした。パヤーの建築形態により、ストゥーパはテラスによってドーム状になっています。 ┃Ratanapon Paya - ヤダナボン・パヤー ミンカマウン王とシントェー王妃の寄進で1612年に出来たと云われ、アンドゥティン寺院の北側にあります。中央に大きな仏塔があり、周囲は17基もの小さな仏塔で囲まれています。 ┃Palace Excabate Site - 王宮跡 ミャウーに行くと最も目に付くのは王宮跡です。現在でも 厚い3重城壁が王宮を囲っています。ミンソーモン王が建てた王宮の面積は1.2平方マイルあって、王宮の壁は煉瓦で造られています。ミンバージー王の時代の1531年に元々の壁をもっと強くするためにさらに砂岩の城壁を造った云われています。その城壁の長さ365mで、幅は2mあり、王宮の三面は掘に囲まれています。 ┃Latt Say Kan Lake - レセィーカン湖 ジナマンアウンパヤーの西南にある、アノマ湖の隣がレッセィカン湖。広さ40.4ヘクタール程あり、湖の岸には3.6mの高さのある水門が2つある。西門はレッセィカン門としられていて、長さ4.2m、高さ5m、幅2.4mある。南門から侵入した敵を西門を開けて洪水を起こし、都を守ったという言い伝えがある。 ┃The Myatanzaung Paya - ミャタザウン・パヤー レーミャェーナー・パヤーの北152mの距離に位置しているのがミャダザウン・パヤー。東側のヤダザウン・パヤーと西側のミャダザウン・パヤーと2つあり、周囲36.5m、15.2mの高さがある。仏塔は砂岩で造られているが城壁だけは煉瓦で造られている。1430年、ミャウー王朝のミンソーモン王のがこのパヤーを建てたと云われている。 ┃The Mokseik Taw Paya - モッセイトゥ・パヤー ミャダザウンの北91mの距離に位置して、30mの高さの丘の上に位置する。ミンソーモン王が1430年に建てられ、最初に造られた5つの大切なパヤーの一つだと云われている。 この丘にはテラスが二つあって、下のテラスには砂岩で造られた経典図書室がある。メインの丸くて鉦形の仏塔の高さ15m、基盤の周囲は30mある。パヤーの東門の近くには長さ86cmある仏足石が置かれている。ミャウーの宗教的な建物の殆は王様の寄進で造られ、大きな僧院などには必ず図書館が造られた。 ┃The Htuparyon Paya - トゥパーヨン・パヤー ミャウーの6代目の王、ミンヤンアウンが1494年に建てたと云われている。1613年にはミンカマオウ王と王妃、シントェーが再建した。基礎は八角形になっていて、土台は砂岩で出来ている。仏塔の周りの塀は修理されずにそのまま残されている。塀の四つの角には頭が二つあるライオンの像がパヤーのお守りとして置かれてる。現在パヤーは完全に壊れていますが放置されている。ミャウーが栄えていた時代には、参拝客で溢れていたそうだ。当時の王の殆どは即位後は、必ずこのパヤーに参拝した云われ、参拝すると将来成功するパヤーとして崇められていたそうだ。 ┃Five Man Paya - 5人のパヤー ┃Mingala Man Aung Paya -ミンガラーマンアウン・パヤー このパヤーも5つのマンアウンパヤーの一つです。このパヤーはサンダトゥダマラーザー王の息子、オッカラーパ王の手によって1685年に建てられた。パヤーは四面とも塀があってそれぞれ入口が一つづつある。周囲は8本の小さい仏塔があり、その中にも仏像が1体づす安置されている。このパヤーにはミャウー時代の建設技術が沢山見られる。このパヤーの東側の森の中の道を歩くと、昔の王女の王宮がある。当時の王様などは王子や王女を別居させることがあったと云われている。 ┃Ratana Man Aung - ヤダナマンアウン・パヤー ヤダナボンパヤーの東方に位置する八角形のパヤー。このパヤーもマンアウンパヤーの一つ。1652年に建てられた。ヤダナという意味はミャンマー語では宝石や宝物という意味。ミャンマーでは3つの宝物は仏様、お経、仏法僧という意味で、その3つの宝物を偲んで作られたとされている。高さ60m、幅16.4mの仏塔の中には白い洞窟があり長さは16.4m、幅4m、高さは3mある。ミャウー時代にはこのパヤーの北側で弓技や競馬などが行われたと云われている。 ┃Sakya Man Aung Paya - セッチャマンアウン・パヤー 東方、ミャウーで有名な5つのマンアウンの一つ。スリスダマヤージャー王が1693年に造ったと云われ、ヤダナマンアウンパヤーの南方にる。 このパヤーはセッチャー時代の後に名付けられ、2匹の鬼が仏塔を守っている。パヤーは蓮の花のような形で12基の小さい仏塔に囲まれている。直径73mで高さ35m。 ┃Lawka Man Aung Paya - ローカマンアウン・パヤー ミャウーにはパヤーの名前の最後にマンアウンと付いているパヤーが5つあります。その中の一つ。ミャウーに 行く際、必ず参拝すべきという5つの中の一つ。1676年に、境内で当時のオッカバラ王の出家式が行われたと云われ、現地ではローカムーパヤーとしても知られていますカンダットゥダマラーザー王(1652-1674)によって1658年に建てられたと云われている。平地に建てられて、材料はセメントと、切り出された砂岩で出来ています。基盤は四角で、一面の長さが22.5m。壁の基盤は91m、長さ30.5m。ウェサリーやマハムニへの古道はここから始まったと云われ、金道と銀道と呼ばれている。 ┃Zina Man Aung Paya - ジーナマンアウン・パヤー この仏塔はパンディンタウン山の上にあり、王宮の南側にある。パヤーの形は八角形になっており、基礎には頭の二つあるねずみの像が置いてある。少し上のテラスに行くとまたネズミの像が二つある。このパヤーはサンダトゥダマ王が1652年に寄進したもの。実はこのパヤーの南のに仏塔を建てたのだが、大きさが小さかったから再び建てたのがこのパヤー。 ┃Sittway - シットウェー バングラデシュと国境を接する、ラカイン州の州都。カラダン川、ミュー川、とレミョー川の合流点である河口に位置しています。人々は多くは仏教徒だが、バングラディシュ国境に近く、インド系ムスリムの住民が多い。旅行者には主にミャウウーへの玄関都市として利用する事が多いだろう。また、ぜひここではシーフードにチャレンジして欲しい。市内に多数のシーフードレストランがあり、ミャンマーの中でも新鮮な魚介類が安く楽しめる場所です。 ヤンゴンからは、飛行機か、船で訪れるしかない。飛行機の場合、所要1時間20分で、ほぼ毎日運行している。空港から街へはピックアップで10分、1,500K。船の場合、TAUNG UPまで船が週2便、早朝発で、翌日夕方着。料金、デッキ$12、キャビン$40。TAUNG UPからは、ピィ、タンドゥエ、ヤンゴンへのバスがある。 ┃Atulamarazi Pyelon Chanta Payagi - パヤジー寺院 この寺院は町の中心に位置し、綺麗なガラスモザイクがあります。大きな座像があって、1900年頃に出来たと云われています。他のラカインの仏像と同じく、顔だけは金色で、体は銅で造られています。 ┃Rakhaing State Cultural Museum - ヤカイン州文化博物館 18世紀までのヤカイン州、ヴァザリ王朝やミャウウー王朝時代の出土品を中心に、ヤカイン州の歴史を紹介している。入場料 $2。 ┃The Buddha Museum - 仏陀博物館 ラカインスタイルの仏像が展示された博物館。大体はミャウー時代を代表する仏像が多いのですが中でもウェサーリ時代の仏像などもあり、銅、銀、水晶や石化石膏などで出来ている仏像などもあります。インドスタイルの仏像やヒンドゥー教の女神の像もあります。タイの仏像が少しと日本の仏像、ミャウー時代の銀貨、土出来ているパイプ、占い書なども展示されています。入場料は無料。 ┃The Point - ザ・ポイント カラダン川の河口にある公園。ベンガル湾の眺めが良い。近くに砂浜もある。 Noble Hotel S $25 T $35 (2010/10) しっかりした建物で、ビジネスホテル風のホテル。サービスも設備も良い。 Prince Guset House S $6- T $10- (2010/10) シットウェーの安宿。設備は最低限。 住: No.27, Lan Ma Gyi, Yupa North Quarter TEL: 21395 Sittwe Hotel S $35- T $40- (2010/10) 政府系ホテル。設備は古いが整っている。 ┃その他ホテル Noble Hotel In front of Museum, Kyapingyi Quarter Ph: 23558 |
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